■ 序章〜新たなる空へ〜■

2016年10月 オーシア連邦国防軍マクネアリ空軍基地 幹部官舎

「こら!アンナ、悪戯ばかりしてないで早く椅子に座りなさい!パパに怒ってもらうわよ」いつもは寝坊助の娘、アンナが今朝は珍しく早起きして、ダイニングを走り回っているようだ。「パパ、アンナにはおこんないもん」「そうよね、パパは親馬鹿だからアンナには甘いから!でもママは怒るわよ!今日はケイおばさんのお見送りなんだから、おりこうになさいね!」妻のアリアが娘を朝食のテーブルに着かせようと、追いかけ回しているのだ。妻の言う通り、俺は親馬鹿だ。戦災孤児として家族の温もりを知らずに育ったことが、微妙に影響しているのか、どうしても甘くなってしまうのだ。洗面を終えてダイニングに入ると、アンナが飛びついてくる「ケイのひこーき見にいくんでしょ?」今日はマクネアリに隣接するバセット国際宇宙基地から、新型宇宙往還機『コスモ・クレイン』の打ち上げが行われる日だ。シップの先任機長であり主操縦士のルフェーニア・ケイ・ハルトマン空軍大佐は、妻の姉であり俺の幼馴染みで孤児院からの親友、空軍士官学校同期生のエーリッヒ・ブレイズ・ハルトマン空軍少将の妻だ。周辺諸国をも巻き込み、自国はおろか対戦国まで存亡の危機に陥った混迷の環太平洋戦争の終結から5年、世界はようやく立ち直ろうとしていた。俺やブレイズ夫妻は、あの戦争を国防軍の戦闘機パイロットとして戦い抜いたのだ。娘を抱き上げながら食卓に着くと、いつものようにアリアがコーヒーをいれてくれる。「ずいぶん遠回りしたけど、やっと姉さんの夢がかなうわね」「ああ、アークバードはエッジの夢だったからなぁ。その夢まで自分の手で叩き墜とさなきゃならなかった。あいつにしたら、さぞかし感無量だろうな」戦争中に、初代宇宙往還機の『アークバード』は空母戦力の喪失を補うために軍事転用されたが、灰色の男達と呼ばれた旧ベルカ公国勢力に奪取され我軍に攻撃をしかけてきたのだ。これを迎撃・撃墜したのがブレイズ夫妻と、我々の飛行隊だったのだ。「表面上は平静を装っていたけど、本当はいろいろ悩んだみたい」「そりゃそうだろ、あいつはアークバードに乗りたくて空軍に入ったようなもんだったんだ。それをあのクソみてぇな戦争に利用されたんだ!」「でもそれも今日で過去になるわ」そうだ、ようやく彼女の夢がかなう日が来たのだ。「ピンポーン」インターフォンが鳴り、来客を告げた。玄関を開けると、ブレイズとその息子のブラッドレー、俺やブレイズの同期生のアクスル・フォン・ホーエンドルフ大佐と、アクスルの妻のシンディが迎えに来ていた。「おはよう、司令官!お迎えにあがったぜ!」開戦当初は、軽口ばかり叩いていたことが災いして上官から嫌われていた俺が、どういうわけか今はマクネアリ空軍基地司令官なのだ。そしてブレイズもバセット国際宇宙基地の司令官で宇宙航空防衛飛行集団の団長を勤めている。アクスルは俺の束ねる空軍参謀長直轄部隊である、独立戦術戦闘航空団の中の飛行教導群の群長だ。「おはよう!少し早くねぇか?ブラッド、今日はママは宇宙でパパは空の上だ!シンディお姉ちゃんや、アリアおばさんの言うこと聞いて、しっかりママのかっこいい飛行機見送るんだぜ!」「わかってるよ、おっちゃん!アンナちゃんのお守りもするから!おりこうにしてたら、イーグルのプラモをアクスルのおっちゃんが買ってくれるんだ!」まだ自分たちの子供は授かっていないアクスル夫妻は、ケイがここのところ宇宙機にかかりきりで、家に帰っても少ない時間しかないため、子煩悩なシンディがケイの代わりに家事を引き受けていたのだ。自然、アクスルも同行するようになりブラッドがなついてしまったという訳だ。ブレイズが苦笑しながら「こいつら夫婦で甘やかしてくれるから、わがままになって困るよ!それに、プラモなんてパパは作る暇ないかもしれないぞ!」「いいもん、アクスルおっちゃんに作ってもらうから!もしおっちゃんがだめならグリム兄ちゃんに頼むから大丈夫だよ!」グリムとは、開戦から戦争中盤にかけて俺の僚機を勤めてくれた優秀なパイロットで、何度も危機を救ってくれた相棒のことだ。OITオーシア国立工科大学を飛び級で卒業した天才技術者でもある。「グリムは手先が器用だからな!」アリアとアンナが出かける支度を終えて出てくる。「あらあら、ブラッドはすっかりアクスルになついてしまったわね!でも、おじさんはお仕事があるんだから、プラモばかり作ってるわけにはいかないのよ。イーグルはおじさんの愛機だったけど、おじいちゃんの愛機でもあったんだから、おじさんやグリムお兄ちゃんが忙しい時は、おじいちゃんに作ってもらうといいわ!」なんてことを言い出すんだこいつは!『円卓の鬼神』がプラモ!驚きのあまり俺は目が点になってしまった。ブレイズとアクスルも同じだろう。あんぐりと口を開けて固まっている。俺達の反応を楽しむように「『鬼神』だって今は普通のおじいちゃんなんだから!それに、ブラッドは初孫で、うちのアンナも女の子の孫だから、目に入れても痛くないほど可愛がってくれてるわ。だからプラモだってきっと作るわよ!」娘のアンナが茶々を入れ「アンナ、らぷたーのプラモがいいな!パパのらぷたー作ってもらう!」いつの間にか、俺の愛機だった機体の名前を覚えている。きっと妻が教えたのだろう。「はいはい、アンナがおりこうにしてたらじいちゃんに作ってもらいましょうね!」「あっおじいちゃんとおばあちゃんだ!」噂をすればなんとやらで、軍指し回しの車から義父と義母が降り立った。アンナとブラッドが駆け寄る。俺達三人の軍人は、反射的に直立不動の姿勢をとって敬礼する。ブレイズとアクスルが生真面目に「おはようございます、ノヴォトニー中将閣下!」義母のラフィーナは呆れたように「あらあら、嫁の父親に閣下もないものだわ!いい加減にもっとリラックスしてくれなきゃ!」確か義父と同じくらいの年齢のはずだが、相変わらず若々しい義母の姿がまぶしく見える。妻と並んでも姉妹にしか見えないだろう。義父のレオンハルト・ラル・ノヴォトニーは、ウスティオ空軍で緊急展開航空団を率いながら後進の指導にあたっている。ベルカ戦争をウスティオ空軍の傭兵として戦い抜き、血みどろの戦争を終戦に導いた英雄。"サイファー"とも"ガルム1"とも呼ばれた凄腕の戦闘機乗り。義父とはいえ、彼の前に出るとかしこまってしまうのも無理はないのだ。もっとも義母だけは、若い頃から彼を尻に敷いていたらしいが。「おはよう、ラフィーナの言う通りだ。少しは楽にしてくれ、今更鬼神でもあるまい?」苦笑しながらレオンハルトが答礼する。「パパもママも、今回はゆっくりしていけるんでしょ?」「ああ、オーシア連邦大統領直々の招待だからな、しばらく世話になるよ」「子供達の世話とかもするから、しばらく泊めてね」アリアが「その子供達が、おじいちゃんにプラモ作ってもらうって言ってるわよ!」サイファーがプラモなんか作るわけねぇじゃねぇかとブレイズとアクスルに目で語りかけたが「よーし、おじいちゃんが作ってあげよう!ちゃんと色も塗って、かっこよく仕上げてあげるからな!でもアンナは女の子だけどいいのかい?お人形とかも買ってあげようか?」「アンナ、パパのらぷたーがいい!」「そうか、きっとアンナはパパに似たんだな。よし、それじゃあアンナにはラプターで、ブラッドにはイーグルで決まりだ!」「わーい!」なんてことだ!本当に鬼神がプラモ作ることになってしまった!アリアとラフィーナが吹き出す。「だから言ったでしょ!鬼神は結構『じじばか』なのよ!」「昔からこの人、子供には甘かったしね。アリアもルフェーニアも甘やかし放題だったし!」考えてみたら、義父も家庭の温もりを知らずに育ったのだから、その分余計に家庭を大切にしたいのかもしれない。それに、『円卓の鬼神』と畏怖される義父が暖かい心の持ち主で、優しすぎるほど思い遣りに満ちた人であることを俺達は知っている。「しかし義父さん、どう考えてもサイファーが孫のプラモ作ってる姿はイメージできないっすよ!」「いいじゃないか、鬼神も人間だってことさ。自分もお手伝いします中将!」とアクスルが言う。「ありがとう、アクスル。一緒にやるか!」子供達は大喜びだ。今朝のダヴェンポート家は暖かい笑いに満ちている。その時、庭の方から愛犬カークの吠える声と共に「こちら空中管制機サンダーヘッド、ダヴェンポート少将、私語は慎め!」と言いながら懐かしい顔が現れた。戦争中はAWACSに搭乗し、常に精確な指示で我々戦闘機隊を支援し続け、ある時は俺の操縦する対レーダー攻撃機の後席でWSOを勤めてくれた親友、ヘルムート・シュタイナー空軍少将。現在は、国家安全保障担当大統領特別補佐官の要職にある。「おはようございます、中将閣下、それに奥様も!チョッパー、ブレイズそれにアクスルも。ダヴェンポート夫人、ホーエンドルフ夫人もお変わりないようで」相変わらず堅苦しい挨拶を口にしながらも、子供達の頭を撫でてくれている。「小型のバスで迎えに来たから、皆で基地まで一緒に行ける。そろそろ行かないと準備もあるからな」今日の打ち上げに花を添えるために、俺達は昔の編成で展示飛行を行う予定になっているのだ。その空中管制と来客へのナレーターにはサンダーヘッドが当たることになっている。バスに乗り込み海上を見るとそこには、ようやく新編なった海軍機動部隊、第3艦隊が集結していた。アンナが突然声を上げて海上の艦を指差した「パパのおふね!パパもおじちゃんたちもあのおふねでたたかったんだよね!」そこには一際巨大な空母の姿があった。ケストレルU、あの戦争で俺達の母艦となり、対艦ミサイルの飽和攻撃を受けながらも、俺達攻撃隊の最後の出撃を完遂させるべく、回避運動も行わず離艦のために全速で直進を続けた艦は、攻撃隊発艦時の全速航行によって浸水が拡がり、やがて総員退艦の後に沈んでいった。あの懐かしい艦と名を同じくする艦を目にした俺は、不覚にも落涙を禁じ得なかった。長く苦しい戦いを俺達は生き抜いたのだ。そして今新たな途が開けようとしている。
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