■1 それぞれの傷跡

11月7日 夕刻
任務終了後のデブリーフィングを終えた俺は、念のためサンダーヘッドを医務室へ伴い、医官の診察を受けさせた後、1人でフライトデッキの片隅のスポンソンに佇み、ぼんやりと海を見ていた。今日の作戦で単機交戦を決意し、危ういところで僚機に救われたとはいえ、サンダーヘッドを道連れにするところだったのだ。はたして俺の行動は正しかったのだろうか?ふいに背中を叩かれ振り向くと、イプシュタインの顔があった。「どうしました、隊長?何か隊長らしくもなく1人で考え込んでいるみたいだったので」そう言いながらイプシュタインは、俺に缶のビールを差し出した。俺は、先ほどからの疑問を口にした「1人ならこんなに悩みはしねぇんだが、サンダーヘッドを巻き込んじまったからな」彼は俺より士官学校の2期先輩で、ここに来る少し前までは飛行隊長の職にあったはずだ。第5航空師団第55戦術戦闘飛行隊、通称トリプルニッケルズ。国防空軍の中ではかなりの功績を上げた部隊だ。イプシュタイン自身空軍士官学校をトップで卒業し、その後の各種教育も首席で修了しているはずだ。人格にしても、教育者の両親を持つためか、後進の指導を積極的に行い、部下の私事の悩み事のよき相談相手であり、面倒見の良い指揮官だったと聞く。士官学校時代、俺は下級生として彼の班にいたことがあるが、他の上級生達が下級生に対して鉄拳制裁を振るうことを良しとせず、弟に接するような暖かい教育や躾を受けたことを覚えている。また、その教育は懇切丁寧を極めたものであり、ある日風邪をこじらせて寝込んだ俺を、まるで兄のように甲斐甲斐しく介抱してくれたのもイプシュタインだった。目下の者に対しても見下すことなど絶対にせず、常に敬語を使って相手を敬うことを忘れない人だった。パイロットとしての腕が抜群なのは言うまでもない。俺を含めた旧ウォードッグも参戦した開戦冒頭のセント・ヒューレット軍港上空での第3艦隊防空戦闘で、彼が敵戦闘攻撃機5機を瞬く間に叩き墜としたのは今でも語り種になっている。その後も大規模な空戦にはほとんど参加して、撃墜スコアを伸ばしていったと聞いていた。部隊での位置も、開戦当時は分隊長だったが、飛行隊長転属後には若くして彼が後任に就いた。しかし、そんな彼にも破局が訪れた。俺が”戦死”することになったノベンバー市空襲がそうだった。孤軍奮闘する俺たちのの増援に向かう途中に敵の待ち伏せを受け、部隊は壊滅的損害を被り、その後解散の憂き目にあってしまったのだ。「賛否両論ってとこですか。ただ、もし私が同じ立場なら同じことをしたでしょう。もうあんな思いをするのはたくさんですから。それにシュタイナー中佐にしても、決して隊長の判断を間違っているとは言わないはずですよ」あんな思いとは、彼の率いた部隊が壊滅的損害を被った日のことのようだ「あの日私の部隊は、緊急出撃を命ぜられノベンバー市に向けて飛び立ちました。しかし、離陸直後からECMを受け状況把握ができないような状況でした…」悔しさを噛み締めるように訥々と話した内容によると、戦闘空域に急ぐ彼らの前に正体不明の編隊が現れ、攻撃を仕掛けて来たという。彼は命令を優先し、交戦を避けてノベンバー市に向かおうとした。だが、周到に編隊を分派していた敵に二重三重の待ち伏せを受け進退も極まり、やむ無く若手の編隊長に交戦を許可し、自分は任務遂行のために敵中突破を図ったのだ。だが、時すでに遅く、囲みを破って突破できたのは、彼と第2編隊長のマクガイアだけだったという。「最初に会敵した段階で、私が残れば良かったんです。しかし、任務を優先してそれをしなかった。一刻も早く増援に駆けつけたいとの思いがあったんです。結局は前途有望な若手を戦死させることになってしまった。全ては私の優柔不断のせいです…」あの日のノベンバー上空は修羅場だった。大半の増援部隊は敵の欺瞞通信に騙されて、演習と勘違いして帰投してしまい、残されたのは俺達ウォードッグ隊のみになってしまっていた。空中管制機に搭乗していたサンダーヘッドの必死の増援要請に応えた部隊は僅かしかいなかったのだ。イプシュタインが、一刻も早く戦闘空域に到達しようとしたのも無理はない。結果が裏目に出たとしても、彼を責めるのは酷な話だと俺は思った。「ありゃあ酷ぇ空戦だったからな…あんた達を襲ったのも8492の奴らだろう。気持ちはわかるが、若手といっても一端の戦闘機乗りなんだ。あんたがいつまでも気に病むことはないんじゃねぇか?運がなかったとしか言い様がねぇけどな」「人の生死を運で片付けられたら随分楽なんでしょうけどね」ここにもこの戦争で、決して降ろすことのできない十字架を背負ってしまった男がいると、俺はやり場のない怒りに駆られるのを禁じ得なかった。「話が逸れてしまったけど、私は隊長のとった行動を是としますよ。それに大統領も含めて全員が生きて帰れたんです。結果オーライで良いじゃないですか。あの時は予想以上に城塞の守備部隊の抵抗も激しくて、対地対空に別れて戦ってましたし。おまけに城内の敵が出入口を固めたせいで、城の壁まで破壊する羽目になってしまった。正直言って手一杯だったんです。隊長が敵の増援を食い止めてくれたから、任務を完遂できたようなもんですよ」俺の横で同じように海を見つめながら話すイプシュタインに、返す言葉もなく頷いた。「少佐の言う通りです、隊長は間違ってないですよ!」「水臭いぞ、相棒!」と、マクガイアとサンダーヘッドがやってきた。「点滴は終わったのかい?」「隊長がふさぎの虫に取りつかれていると、マクガイア大尉が教えてくれたんでな。同じ機で同じ行動を取った私としてもほっとけないだろう」やれやれ、なんとおせっかいな仲間達なのだろう。そこへブレイズを筆頭に残りの仲間が顔を出す。皆が俺を励ましに来てくれたのだ。情に脆い俺は目頭が熱くなるのを感じた。サンダーヘッドがイプシュタインに向いて「盗み聞きするわけではなかったのだが、少佐の話を聞いてしまった。チョッパーは先程君に、運が悪かったと言っていたが、トリプルニッケルズ壊滅は運などではない。隊内に敵の内通者がいて、君達の行動内容は全て通報されていたんだ。おまけに、編隊の秘話回線の周波数も知らされていた。敵は君の編隊無線を傍受しながら攻撃していたんだ。行動を読まれていたんだよ」イプシュタインが、歯噛みする音が聞こえた。マクガイアが怒りの声を上げる「どおりで先手ばかり取られると思ったぜ!裏切者がいたのか、畜生!」サンダーヘッドが怒りに耐えたような表情で尚も続ける「内通者は、地上勤務者だけではなかった。君達の編隊内にも別の周波数を使い、敵に君達の機動を実況してた奴がいる。そいつは戦争を己の欲望を満たす為に利用し、民衆の命など…」軽く手を上げ、サンダーヘッドの言葉を制しながら、青ざめた顔でイプシュタインが呟いた「サンダーヘッド、よくわかりました。編隊内部の裏切者は副大統領の息子ですね?彼の元へ頻繁に怪しげな連中が面会に来ていたので、おかしいとは思ってはいたのですが・・・私は今まで戦場の空を憎しみを持って飛んだことはない。敵と味方に別れてはいるが、各々の正義と理想の為に戦っているのだと信じてきたから。しかし、今この場で私はその禁を敢えて破る。国家や理想の為に飛べなどとは言わないし、言ったこともない。ただ、ファイターパイロットとして守るべきものの為に飛べと己にも部下達にも言ってきた。戦死した部下や、ここに集う仲間達の守るべき空を汚す者は許せない!自分たちだけの欲望と、勝手な理想を実現させるために核の恐怖を持って恫喝するような輩は断じて許さん!私は奴らを叩き潰すまで飛び続ける!」真相を知り、イプシュタインの闘志に火が付いたのだ。ゴードン・イプシュタイン少佐、静かなる撃墜王。彼はその言葉どおりに終戦までしぶとく飛び続け、生き抜くことになる。

「なんてこった…」サンダーヘッドの報告で自隊壊滅の真相を知ったマクガイアも、怒りに自分を抑えきれないようだ。リチャード・マクガイア大尉は俺やブレイズ、そしてアクスルの3期後輩にあたる新進気鋭の戦闘機乗りだ。士官学校の卒業席次は次席、同盟国であるウスティオの空軍アカデミーに留学し、留学期間中全ての課目を首席で修めた俊才だ。実戦部隊では、イプシュタインという稀に見る優秀な指揮官に恵まれ、その下で有り余る戦闘機乗りとしての才能を開花させた。当初はイプシュタインの2番機として、徹底的に戦闘機のいろはを叩き込まれたようだが、彼の指揮官としての資質を見いだされてからは、若き中隊長として編隊を指揮する立場を与えられた。開戦以来一貫してトリプルニッケルズの第2編隊長を勤め、闘志溢れる戦闘機動と陽気な性格で、若手パイロット達の信望を集めた。イプシュタインの行くところに常に寄り添い、幕僚としての手腕もなかなかのものだったと聞く。しかし彼の中隊もまた彼以外の隊員は未帰還となった。
「副大統領の息子、アンソニー・アップルルースは、新鋭機の部隊に転属させてもらうことを条件に、部隊の機密を流したんだ。灰色の男達側の空軍高官に囁かれてな。もっとも、それが元で部隊が壊滅の憂き目に合うとは考えてもいなかったようだが。副大統領自身、自分たちがベルカの残党に利用されて傀儡となっていることに気付いていないのだから無理もないが…」空軍内部はかなり灰色の男達に食い込まれ、信用の置けない場所となっているようだ。「奴等は功績のある部隊や、有力で戦況を覆すような部隊を潰して戦争を泥沼化しようとしているんだ。だからブレイズ達も抹殺されかけたし、イプシュタイン少佐の部隊も襲われた。マクガイア大尉、君達の部下の犠牲を無駄にするなよ。我々がこの混迷の戦争を終わらせる力になるんだ」拳を握りしめ、じっとサンダーヘッドの話を聞いていたマクガイアが何かを断ち切るように凛とした声で応える。「わかりました、シュタイナー中佐。何としても生き抜いて最後まで闘います。そして、戦死した仲間の分まで暴れてやる!それが僕なりの仲間に対する弔いと信じて!」そうだ。何としても生きて戦い抜くことが大切なのだ。それは、ともすれば怒りに駆られて命を投げ出しがちな俺にもいえることだ。それまで黙って聞いていたアクスルが口を開いた「俺達戦闘機乗りは、命のやりとりをするのが商売だ。だがな、死ぬことが仕事じゃない。たとえ辛くとも、今日を生きて明日を闘うことが大切なんだ。仲間の屍を乗り越えるのは生半可な苦しみじゃない。だが、それができない奴は戦闘機に乗る資格はないんだ。俺達は生きるために飛ぶ。たとえ絶対絶命の危地に陥っても、生への可能性を求めて乾坤一擲の機動で活路を得る、それがファイターパイロットだと俺は思う。一時は逃げかけていた俺が偉そうに言えることじゃないけどね」同じように味方の裏切りによってバックシーターを亡くしたアクスルだからこそ言える言葉だ。イプシュタインとマクガイアが、アクスルに握手を求める。3人の手に俺の手を重ねて俺は言った「みんなの言うとおりだ。生きるぜ!生きて戦争を終わらせるぜ!」微笑みと共にナガセが手を重ね「わたしも生きるわ」それに続いてグリムが「僕も生きます!」スノーが「俺は死なない」そして最後にブレイズとサンダーヘッドが「しぶとく生き残って、灰色の男達に一泡も二泡もふかせてやろうぜ!」そうだ、生きて闘い抜いて奴等の野望を叩き潰してやらねば。まだ燠火のようなものだが、ここに反撃の狼煙は確かに上がったのだ。固い団結と共に。
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